いそかぜ おはなみ プロジェクト 
  

    cherry blossom viewing.

      
ISOKAZE

「歌なんて…おれ、知らないですから…」

 困惑しているらしい行は、珍しく弱りきった声を出した。ゆらり、と揺れる目は、まるでその魂が<いそかぜ>と、なにか自分の知らない他の世界を行き来しているような、そんな印象を喚起させるものだった。仙石はそんな行の魂を<いそかぜ>の側にとどまらせたくて、
「大丈夫だって。誰も聞いちゃいねえんだからさ。な?」
 迷子の子供に名前を聞くように腰をかがめて、行の同じ目線に立つともう一度言ってみた。

「…いや、でも…」
 珍しく本気で困っているらしい行を、「おれは今酔っているから」という免罪符であえて無視して、その腕を掴む。狼狽する行を尻目に無理矢理「<いそかぜ>大カラオケ大会」を催している曹士の輪の中に、行もろともどかどかと仙石が入り込むと、あいかわらずこんな時には勘のいい菊政が、
「あ! せんぱーい!」
 真っ先に気がついてニコニコしながらこっちに手を振ってきた。いいところに、と手招きすると嬉しそうにこちらに近寄ってくる。

 まさしく、犬。

 人だかりを抜け出してきた菊政は顔どころか耳まで赤くなっているが、足取りはしっかりしている。顔に出やすい性質なのだろうと仙石は思う。こういうところでも部下を細かくチェックしてしまうのは先任伍長の性のようなものである。
「先任伍長、先輩の腕なんか掴んじゃってどうしたんスか?」
 仙石の手が行の袖を掴んでいるのに気がついたようだ。小首をかしげて、菊政はクルクルと仙石と行の周りを回りはじめた。どの角度から見ようが掴んでるという事実に変わりがあるわけでもあるまいに。しかもなぜか中腰で。なんだかボールにじゃれつく仔犬のようだ。

 そいつはいかがなものか、菊政克美(20)。

 胸の中でつっこみつつ、(顔に出やすいんじゃなくて、単に弱いだけか?)と冷静に思いつつ、話しかける相手を間違ったかとほんの少し後悔しつつ、仙石は菊政がちょうど自分の真正面に戻ってきたときに、その肩を両手で掴むと、
「おお、菊政いいトコに来たな。あのな、如月にカラオケ、回してやってくれ」
 行の方に顎をしゃくってみせた。
 ん? と菊政がどこか「とろん」とした目で行に目をやると、当の行はげんなりとした表情で菊政の目を見返してきた。

 だが、その目の奥には、『断らないと殺す』という硬質な殺気がちらついている。

 当然、仙石は気がついてはいなかったわけだが。

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