約束 ――崩壊まで―― 28

 ――先任伍長……。
 おれにとって先任は、先輩に対しての疑念を話すことができるただひとりの相手。それに、おれはここ――自衛隊以外で働いたことがないから他所はどうだが知らないけれど、多分、普通の会社の「いい上司」というのにも全然引けを足らないと思える人だ。でも、今はちょっと会いたくなかった。

 幽霊騒ぎの事、知ってるかな?
 知ってるよな、多分。

 おれが仕掛けた幽霊騒ぎは、「上」の反応を試すためのもの。本来、下士官ですらないおれがして良い事ではない。でも、他に方法を思いつかなかったのだ。目的が知れたら首が飛ぶかもしれないと、ちらりとは考えはしたものの、他の案は浮かばなかった。しかたないな、と自分でも驚くほどあっさりと割り切ると、おれはその思い付きを行動に移していた。

 だからここで上司である先任に出会ったら、厳重注意…ならいいが、下手すれば鉄拳で注意されることだって十分ありえる。最近はあまり部下を殴らないようになったとはいえ、やったことがことだ、拳骨まではいかずとも、平手くらいは覚悟しておいた方がいいかもしれない。

 …自分が招いた事態ではあるのだが、覚悟を決めていたつもりでも、いざそういう場に至れば、人間というのは結局動揺して、無駄に色々と足掻こうとするらしい。おれは頭を下に向けて、一度首をブンと下に振った。金属製のテッパチは、そのイキオイで少しだけ顔の方にずれて、おれの顔を先任から隠してくれる…予定だ。顔が見えなければ、同じ作業着の集団の中にいるのだから、おれを探してでもいない限り、おれに気がつくことはないだろう。ここで呼び止められなければ、訓練が終わるまでは時間が稼げる。といっても、その稼いだ時間で良い言い訳を思いつくとは自分でも思えなかったけれど。

 灰色の甲板に、短い、真っ黒な影。前を行く先輩魚雷員の靴ばかりが目に入った。


 先任の横をすれ違った瞬間、塩辛声が横からして、おれはぎくりと立ち止まった。

「菊政」

 ああ、見つかった…。



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