約束 ――崩壊の瞬間――

 その時おれは、空気の裂ける音を聞いた。

 先輩の掴んでいた控え索が、ぶつりと切れた。(音は聞こえなかったけど)

 誰かが、「逃げろ!」と叫んだ声が遠く聞こえる。

 先輩の体が後ろに傾く。今まで、強く、強く、控え索を引っ張っていたからだろう。


 ……ねえ先輩、おれ、邪魔でしたか?


 ぶうん、と周りの空気を震わせながら、黒い塊が突っ込んでくる。
 黒い塊の向こうに、真っ青な空
 灰色の甲板。尻もちをついている先輩の青い作業着。青い

 おれ、あなたが好きでした。尊敬してました。
 そうだ、ばあちゃんとの約束。あれ、守れなくなっちゃうな。
 ああ、でもいいのか。もう死んじゃうんだから、関係ないのか。


 高校時代の教室。安っぽい白いカーテン。葉桜
 逆光でよく見えないお父さん、お母さん。
 『いそかぜ』のみんな。


 魚雷の向こうで先輩はびっくりした顔をしていた。なにか叫んでいるような、苦しげな表情でおれを見ている。


 なんだ、先輩じゃないんだ。
 事故なんだ。
 ごめんね、先輩、おれね、一瞬あなたを疑った。

 ぶううん、低く空気を裂く音。
 視界一杯に黒い塊。
 邪魔だよ、おれ、まだ他のもの、見てたいのに。

 ごめんね、ばあちゃん、約束破って。
 でも保険下りるから。それで、一戸建て買ってね。


 こつん、と魚雷がテッパチにぶつかった。
 思えば今日はよく小突かれる日だった。
 魚雷科の士長に、先任伍長。そんで、これ。
 こんなデッカイもんにまで小突かれるとは思わなかったけど。

 いや、こんだけデッカイもんだったら「大突かれる」かな?


 みしっ って音がした。どうやらおれの頭蓋骨にヒビが入った音らしい。
 かあっと、頭が痛くて熱くなる。
 でもそれより熱くて痛いのは、右手の小指。
 先輩と指切りした、右手の小指。

 ああ、そうだった、そうだった。
 おれ先輩と約束してたんだっけ。
 ごめんね、ごめんね。
 
 ごめんね、先輩、おれ、先輩に約束破らせちゃうね。

 先輩の、冷たくて乾いた指。
 ホントは優しくて、あったかい人。

 ごめんね先輩、約束、破らせちゃ――



 ――崩壊。
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